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大正10年から今も続く産業です。

蒲原といわし削りぶし

いわし削りぶしの成り立ち

いわし削りぶしの成り立ち

削りぶしは、明治時代に瀬戸内(現在の広島県福山市)で“削りぶし王”といわれた安部和助氏により盛んになり、各地に伝えられたようです。
元々蒲原のいわし削りぶしは、大正時代の初期より広島県福山市で製造されていたものを販売していました。それが好評で大正10年前後、大阪から1台の削りぶし機械が蒲原のまちに入ったことがきっかけとなり、「蒲原いわし削りぶし」として地元での製造が始まりました。原料のいわしは、ほとんどが九州から仕入れられています。

製造元の風景

最盛期(昭和四十年前後)には、町内に50軒を超す製造元がありました。
現在でも20軒ほどがその時代から製造し、庶民の味・栄養源として親しまれてきた「蒲原いわし削りぶし」を守り続けています。
「いわし削りぶし」は今でも町の大切な産業のひとつとなっています。

蒲原といわし削りぶし
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